優しい劇薬。アドラー心理学「嫌われる勇気」を読んだのでまとめるよ!
こんにちは、7716(@hachi7716) です。
今年に入ってから、意識的にも行動的にも前進を心掛けているのですが、ふとした事で落ち込むことが多くなりました。
いや、前から些細なことを気にして落ち込みやすい性格でしたが、「コミュニケーションを大事にしよう!」と思った結果、相手の眩しさに自分の影があぶりだされて「なんで私はこんなだめなんだ」と落ち込んだり、「私は誇れるもの何も持ってない。空っぽな人間だ」と落ち込んだり。
とにかく、頑張ろうと思う反面、地の底に落ちたりと上下が激しくて、これはちょっとやばいなと。
人に弱みを見せるのが苦手で、そういった負の感情は内々で処理してきた私も、ここ最近のメンタルは、誰かに頼らないと無理かも。と思うようになっていました。
以前の記事にも書いた通り、心療内科を頼ろうかと思いましたが、予約の電話をしたところ、早くても3週間待ち。
しかも病院の評判とか口コミとか出てきて、なんかもうそういう検討もめんどくさい。
手っ取り早く気持ちを整理するには何だ?と考えた末、出てきたのが「心理学」でした。
弱みを見せたくない私が心療内科に行こうと思ったのも、もともと、糖質制限や湯シャンを知るきっかけとなった、ゆうきゆう先生の著者を読んでいて心療内科に対する敷居が下がっていたと言うのがあり、その診療のベースになっている「心理学」を学べば、根っこの方から変われるのではと思いました。
で、どの心理学を学ぶかとなったときに出てきたのが、アドラー心理学です。
これまたゆうきゆう先生が漫画にしてくれていたので、入りやすかった。ゆうきゆう先生はほんま、最高のキュレーターやで。
本を買う
ネットには、無料で閲覧出来て且つ丁寧にまとめてくれているサイトも沢山あるのですが、ちゃんと本で読んでおこうと思って買いました。
1620円。高い。でもアドラー先生と、ちょっといいとこにランチに行ったと思えば…
てか心療内科行ったら倍以上するし。
本を読む
5分の1くらい読んで、むっず!!と思いました。普段本を読まないので尚更。
で、ちょっと本を手放して、なんやかんやしてましたが、やっぱり落ち込みが激しくて、「ちゃんと読もう」と仕切り直して、半日かけて、家事もちょっと放置して、読み切りました。
とてもいい本だったので、忘れないうちにまとめます。
原因論ではなく、目的論
アドラー心理学は、「トラウマや過去のせいで私はこうなんだ」という原因論を否定します。
「働きたくないから過去の辛い思い出を持ち出している」という、目的論を唱えます。
私がへこむ「中学時代不登校だったから、人間関係が下手くそで友達が作れない」というのも原因論的な考え方なので、アドラー先生に言わせると
「他人に拒絶されるのが怖いから、中学時代不登校だったことを持ち出している」
となる訳です。痛い! 胸が痛い!
「私なんか」と思って下手に出てしまうのも、自己評価が低いのも、アドラー先生に言わせると
「自分を好きにならないでおこうと決心している。それが自分のためになることだと思っている」
どゆこと?↓
他者から否定されるのが怖い。他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れているから。
つまり↓
私の目的は、他者との関係の中で傷つかないこと
痛い! 胸が痛い!
核心を突かれ、アイタタとなりますが、本は続けます。
「対人関係で傷つかないなど基本的に有り得ない。対人関係に踏み出せば、大なり小なり傷つくものだし、あなたも誰かを傷つけている。
悩みを消し去るには、宇宙の中にただひとりで生きるしかない。ただ、そんなことは出来ない」
有り得ない。出来ない。
きっぱりと言い切られ、ソウデスヨネ…と思う反面、この文には何だか清々しさも感じるのでした。
劣等感と劣等コンプレックス
アドラー先生は、劣等感を否定しません。持っていない方がおかしいし、劣等感があるからこそ努力ができると。
ただこじらせた劣等感『劣等コンプレックス』はよくない。
成功している人を嫉妬したり悪く言ったり、自慢をしたり、不幸をやたらアピールしたり。ええ、身の回りにいっぱいいますね…
劣等感を正常に使う為、バネにする為には、「それに対して自分がどんな意味づけを施すか」が重要になります。
本を読んだ後、ちょいちょいネットでも心理学のサイトを見たのですが、分かりやすいのがリフレーミングというやつ。
あの、コップに水が入っていて、それを「まじか、これしかない!」と思うか、「わあ、まだこんなにある」と思うかというやつですね。
考え方のフレームを作り変えるから、リフレーミングというそうです。
本に載っていた劣等感の例は、「身長155cm」。これを「平均より低い」とか「あいつみたいに180cmあればモテるのに!」と短所として思うか、「人を威圧しない」「人をくつろがせる」長所として思うか。
つまりその身長に対して、わたしがどのような意味づけを施すか、どのような価値を与えるか。
身長155cmは、誰にも動かせない客観的な数字です。水の温度とか、私が中学時代不登校だったこととかもそう。
でも、それをどう見るか。主観的な解釈は、自分の手で選べるんだとアドラー先生は言います。
「我々を苦しめる劣等感は、客観的事実ではなく、主観的な解釈」
それを選べる、と。
つ、つまりだぜ…見方しだいで、この世はガラッと変わるんじゃないの…?
承認欲求を求めてはいけない
私の中にぐつぐつ煮えたぎってるやつですね。
「我々は他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など満たす必要は無い」
「他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない。相手が思い通りにいかなくても怒ってはいけない。当たり前のことだから」
人に認められたい、褒められたいと思いながら生きていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
課題の分離
目からウロコが落ちた「課題の分離」。
その名の通り、他人の課題と自分の課題は別だと考えることです。
「好きな人に、好きになってもらいたいと思う」のは、自分の課題。
「好きになるかどうか」は、他者の課題。
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させない。
「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知る。そして他者の課題は切り捨てる。
ついつい「あんなこと言って嫌われたかも。メールの返事が来ないのは私に興味が無いからなのかも」と思いを巡らせて落ち込みがちですが、そんなのどんなに悩んだところで本当のところが分かる訳ない。そこをザックリと切り捨てる。
それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする一歩なのです。
深い…
全ての人間は対等だ
経済的に優位かどうかなど、人間的な価値には何の関係もない。会社員と主婦は働く場所や役割が違うだけで、まさに「同じではないけれど対等」なのです。
アドラー先生の対人関係には縦軸はありません。横軸です。
他人を評価しない
相手を褒めたり評価することは縦の関係によるもの。
劣等感も縦の関係から生まれるもので、あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」という横軸の関係を築くことが出来れば、劣等コンプレックスも生まれる余地はなくなる。
横の関係に必要なのは、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えること。「嬉しい」と素直な喜びを伝えること。
おい皆、ここテストに出るぞ!!
共同体感覚
人はひとりでは生きていけない。でも集団になると、対人関係で悩む。
その矛盾の中で生きていくため、アドラー先生は「共同体感覚」を持てと言います。
「社会という共同体で生きていると意識し、その上で幸せになるために行動すること」
具体的には、他者信頼、他者貢献、自己受容の3つ。
他者信頼とは、他者に無条件の信頼を寄せること。仲間だと信じること。
他者貢献とは、他者のためになること、他者が喜ぶことをすること。
自己受容とは、今のままの自分を受け入れること。
「他人を心から信頼し、そしてその役に立っていると思えること。そんな自分自身に価値があると受け入れること」
今ここに強烈なスポットライトを当てよ
いよいよクライマックスの270ページから始まるこの章にはシビれました。
全体が明るい劇場では、客席の一番奥まで見渡せる。しかし自分に強烈なスポットライトが当たっていれば、最前列さえ見えなくなるはず。
過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが今ここを真剣に生きておらず、薄らぼんやりとした光の中に生きている証。
過去にどんなことがあったかなど、あなたの今ここには何の関係もないし、未来がどうであるかなど今ここで考える問題ではない。
目標など、なくていい。今出来ることを真剣かつ、丁寧にやっていくこと。それが全て。
人生は刹那の連続! 踊れ! 踊っていればどこかにたどり着く!!
難しい。でも、人生の荷物が軽くなる
本自体は、『哲人と僕』の対話形式なので入りやすいですが、漢字は多いし単語もちょっと難しかったりするので、本を読みなれていないと結構大変です。
が、主人公になりきって哲人の話を聞き、迎えるクライマックスの展開はしびれます。
誰のためでもない、自分の人生を生きる力が湧きます。
ここまで読んで下さってありがとうございます。……いる? 読んでくれた人いる…? あっ、ありがとうございます!!
思ったよりもかなり長く、拾いきれないところ、拾い過ぎなところなど、拙い文章になりすみません。
落ち着いたらもうちょい整理して書きます。
本当に読んで下さってありがとうございます!
あなたも私も共同体!